賀川豊彦はその生涯を社会的弱者と共に生き、闘い続けました。豊彦が残した多くの功績は、現在の社会にしっかりと継承されています。
- 1936年(昭和11年)の2.26事件を機に、日本は戦争の時代に。生活協同組合も時代の流れに否応なく巻き込まれていきます。戦時体制が強まっていくと、御用聞き係の若者たちも戦地へ駆り出されていきました。生活物資はきびしく統制されるようになり、配給制度が生協運営にも大きな影響を受けるなか、残された職員や組合員、地域住民が協同して公正な配給物資の分配を続けました。
戦争の悲劇を繰り返さないため、豊彦は国際平和協会を設立。のちにこの運動は、世界連邦運動に進展していきました。
- 1951年(昭和26年)には「協同組合の国際化による世界平和」という持論のもと、生協の全国組織である日本生活協同組合連合会が設立され、豊彦は初代会長に就任。同年開催された創立総会では「平和とよりよい生活のために」というスローガンを掲げ、協同組合の持つ可能性について後輩たちに語り、すばらしい社会をめざして働き続けました。
- 生涯にわたり力を注いだのは、教会・平和・協同組合の仕事でした。そこにはいつも弱者の側に立つという姿勢が貫かれていました。「利益より人間尊重の社会を」という精神を説き、休むことなく平和な社会の実現をめざして働き続けました。
偉大な思想家で、社会改革を実践していく豊彦の周辺には、多くの人々が集まり、彼とともにすばらしい社会を作るため奮闘しました。
- 協同学苑の史料館2階にある賀川豊彦特別展示室。ここには幅広い活動をまとめたパネル、「協同組合中心思想」をはじめとした協同組合設立の思いが伝わってくる遺墨、愛用の眼鏡や執筆活動に使った机などの遺品を多数展示しています。コープこうべの原点や豊彦の思いを見ることができます。