賀川豊彦物語 賀川豊彦って、どんな人?

Vol.6 生協活動の広がり

生協は助けあいによる生活の安定と向上をめざす組織です。豊彦の説いた「協同組合の中心思想」は、今も変わることなく生協活動の支えとなっています。

生協運動を支える組合員組織「家庭会」
生協の創設期に主婦を中心とする組合員で結成された「家庭会」は、生活の安定と向上をめざし自発的な学習や運動を進め、生協活動の母体となって生協の発展を支えてきました。昭和30年代から40年代以降、家庭会は時代の変化を敏感に感じ取ったさまざまな試みを重ねました。その活動は、料理や洋裁といった講習に加え、消費生活や生活文化、福祉へと、さまざまな分野に広がり、専門化したグループが発足していきました。

消費者のくらしを守る生協とは
1962年(昭和37年)には灘生協と神戸生協が合併し、日本一の規模の「灘神戸生活協同組合」が誕生。高度経済成長期に入り、さまざまな社会情勢に生協活動は大きく影響されました。オイルショックの後、灘神戸生協では、「生活見直し運動」「買い物袋再利用運動」など、組合員を中心に生協活動を見つめ直す画期的な運動が始まり、生協への理解と賛同は確かなものになっていきました。
また、「安全・安心のとりで」となる商品検査室の開設や、無漂白小麦粉を使った無漂白パン“コープブレッド”の製造を開始するなど、品質と価格の安定を保証するオリジナル商品の開発も進みました。
地域に根づいた生協活動と賀川の理念
1991年(平成3年)、創立70周年を迎えた灘神戸生協は、組合員数が100万人を突破。活動エリアも大きく広がり、灘神戸生協は、新たな出発をめざして「コープこうべ」と改称しました。1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生。被災地を活動エリアとするコープこうべも、本部ビルや多くの店舗が倒壊したため、総額500億円という打撃を受けました。
しかし、地震発生から間もない被災地には、救援物資だけではなく、復旧の応援に駆けつけるなど、全国の生協から続々と支援の手が届き、「被災地に生協あり」と言われました。この言葉は、復興への力強い支えとなりました。
豊彦が教えた「愛と協同の精神」は、全国へと広がり、それぞれの地域でしっかりと根づき、次世代へと受け継がれています。生活協同組合コープこうべもまた、賀川豊彦の中心思想を原点にこれからも前進を続けていきます。

豊彦が説いた協同組合の中心思想
「一人は万人のために、万人は一人のために」の社会を実現するための「協同組合の中心思想」を7つの短い言葉で表現された豊彦の書が残されています。

  • 【利益共楽】生活を向上させる利益を分かち合い、ともに豊かになろうとする。
  • 【人格経済】お金持ちが支配する社会ではなく、人間を尊重した経済社会へ。
  • 【資本協同】労働で得たお金を出資し合い、生活を豊かにする資本として活かす。
  • 【非搾取】みんなが自由と平等で利益を分かち合う、共存同栄の社会をつくる。
  • 【権力分散】全ての人が人間としての権利を保障され、自立して行動する。
  • 【超政党】特定な政党にかたよらず、生活者や消費者の立場で考え主張する。
  • 【教育中心】豊かな生活には、一人ひとりの教養とそれを高めるための教育が重要。

Vol.5 生協活動でめざした平和

  • Vol.1 スラム街の聖者
  • Vol.2 社会運動の先頭で
  • Vol.3 世界の平和を願って
  • Vol.4 灘・神戸生協の創設
  • Vol.5 生協活動でめざした平和
  • Vol.6 生協活動の広がり

ページの先頭へ