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みんなが笑顔でいられる社会は必ずできます

2019年12月18日

阪神・淡路大震災から25年

1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部の明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震が私たちの町を襲いました。多くの市民が犠牲になり、助かった人たちはガレキと化した町で一日一日を生き抜きました。 復旧・復興のための支援が全国から届けられるとともに、被災地ではさまざまなボランティア活動が行われました。
あれから25年。大きな被害を受けた神戸市長田区で、「誰も置き去りにしない」をテーマに話し合いました。

柳 友貴

生活協同組合コープこうべの職員、コープ苦楽園に勤務。2018年4月~12月、他組織研修として長田区社会福祉協議会に出向。2015年入所。

伊東 正和さん

神戸市長田区の大正筋商店街にある創業40年の茶販売店「味萬(あじまん)」店主。地域コミュニティの活性化に取り組むほか、阪神・淡路大震災での体験と教訓を次世代に伝える活動を行う。

立浪 雅美さん

尼崎市「園田南」地域包括支援センターの保健師。コミュニティナースをめざして、尼崎で地域づくりに関わる活動をすすめる。

地域のつながりがあったから助け合うことができました

柳

コープ苦楽園で働いています。今の店舗に異動になる前は、他組織研修で長田区社会福祉協議会(社協)に出向していました。社協では、地域課題の取り組みに参加したり、さまざまな業種の方と出会ってお話したり、貴重な体験をさせていただきました。

伊東

長田区の大正筋商店街でお茶屋を営んでいます。阪神・淡路大震災で店舗兼事務所を失い、仮設の集合店舗で営業しながら、今の店舗を再開したのは2003年です。
震災に遭って、それから25年間。地域の仲間と一緒に、町と商店街を活性化する取り組みをいろいろやってきました。その経験から、人と人のつながりが何よりも大事だと実感しているので、それを若い人たちに伝えていくことも自分の役割だと思っています。

立浪

尼崎市で保健師をしています。そして、もう一つの肩書きが「コミュニティナース修行中」です。「それって何?」って聞かれると、「町を元気にするおせっかいやきなんですよ、私」と答えています。
地域の人たちの力を引き出したり、しんどいときに声をかけてあげたり、町の人たちの生活の中にいる保健師になりたいと思っています。

柳

「コミュニティナース」をめざしたのは?

立浪

大学時代に国際協力で行ったインドとネパールのフィールドワークでの体験がきっかけです。 看護学生として健康教育や予防接種などの聞き取り調査が目的だったのですが、私たちが活動できる時間は限られています。私たちが帰った後も、そこに住んでいる人たちが知識や技術を身につけて、自分たちの力で広げていくことが必要だと感じました。特に、2015年のネパール地震で被災した山間部の村で出会ったドクターの影響は大きいです。そのドクターは、病気を診るというより、村の人たちの暮らしに入り込んで生活習慣を知ったうえで健康課題や予防策を提案していました。 その体験から、自分がプレーヤーになるよりは、地域の人たちの力を引き出して、それを生かしたコミュニティを作っていく活動をしたいと考えるようになりました。

柳

私が長田区で仕事をしていたときに感じたのは、地域の取り組みやイベントに阪神・淡路大震災の経験が生かされているということでした。

伊東

ここは震災で大きな被害を受けた地域ですからね。地震で壊れただけでなく、その直後に大規模な火災が町を襲ったんです。命を守るために必要な情報も届かない状況でした。携帯電話も普及していない時代ですし。この小学校も、廊下や階段の下まで、たくさんの人が避難していましたよ。段ボールを敷いてね。

この町は太平洋戦争のときに戦火を逃れたものですから、古い家が多かったんです。うちの商店街は大正時代にできたんですが、1階が店舗、2階が自宅で2世代、3世代で住んでいるというのが一般的でした。どこに誰が住んでいるのかわかっているから、地震の後、火が回って来るまでの時間に隣近所が声をかけあって助け出しました。それまでは意識することがなかったけれど、地域のつながりがあったからできたことだと思います。消防隊もすぐには来れない状況でしたからね。

地域の先輩たちに守られているんだって気付いてほしいな

柳

次に起こるかもしれない自然災害に備えるためにも、地域のつながりを築いていくことは大事だと思います。すぐにできることではないのかもしれないですが。

伊東

当時、僕は40代半ばで、妻と3人の子どもは中学3年生、小学6年生と4年生。震災直後は正直どうしたらよいのかわからなかった。突然、全てがなくなったでしょ。家族を守らないといけないし、町は焼けているしね。
そんな中で、誰かが「おにぎり」と「ペットボトルのお茶」を届けてくました。美味しかったな。
作ってくれた人がいて、運んでくれた人がいて、一日一日を生きられたわけですから。最初にいただいた「おにぎり」のことを忘れてはいけないと思っています。

柳

伊東さんは、東日本大震災で被害を受けた宮城県の「南三陸さんさん商店街」でボランティア活動をされていますが。

伊東

長田の経験と失敗をもとに、熊本や宮城で復興のお手伝いをさせてもらっています。建物はお金があればいつか建て直せるんだけれど、それを待っている間に命の時間はどんどん過ぎていきます。一日でも早く暮らしを戻してあげないと、気力も体力も無くなっていくんです。長田でね、建物の完成を待っている間に仲間が商売をやめていく、亡くなってしまうという経験をしました。せっかく生かされた命なのに。 だから、少しでも早く目標をカタチにして、それを笑顔で迎えられることが一番大事やと思っています。僕たちが失敗した経験は何よりも参考になるし、それを生かして、よい商店街になってほしいですから。

柳

昨年、大阪北部地震がありました。ちょうど、出勤時間だったのですが交通手段がなかったので、歩いて職場に向かいました。その途中、過呼吸で苦しんでいる女性がいて、周りの人たちと一緒に声をかけて寄り添うということがあって。それから、その人と顔を合わせるとあいさつを交わすようになりました。 そんなことがきっかけで「つながり」ができていくのかなと思える体験でした。

立浪

コミュニティづくりをしていると、テーマ型、地縁型という言葉が出てきます。 テーマ型は、共通の関心や目的など特定のテーマのもとに集ったコミュニティです。災害や防災、子育てなどの地域課題がテーマになっていることもあれば、趣味の仲間集めがテーマになっていることもあって。そのため、地域や年齢層などにとらわれない多様なネットワークが形成されます。
一方で、地縁型というのは、商店街や町内会に昔からあるコミュニティです。後継者不足などで、地域によっては立ち行かなくなっているところもあります。 だから、テーマ型と地縁型を、いかに混ぜていくかというのも課題の一つだと思っています。

伊東

まさに、そこを知りたいです。
今、商店街や地域の人たち、行政も含めた39団体が関わってサポーター会議というのをやっています。自分たちの町を自分たちで守ろうということでね。そこに、もっと若い人たちが入ってほしい。今の課題です。

立浪

私も答えがあるわけではなくて、試行錯誤しながらです。でも、いろんな人と話をして、共通点や「いいな」ってことを見つけたり、それを結びつけたりすることで、また新しい発想や取り組みが生まれてくると思います。
あるとき、建築関係の仕事をしている人が「木を生かした町づくりをしたい」という話をされていて、「職業が違っても、自分と同じことを大事にしている人がいるんだ」と気づきました。

伊東

次の世代のみなさん、特に子育て中の人たちは忙しい。でも、実は地域の先輩たちに守られているからこそ、今の自分があって、また次の子どもたちが守られていくんだよって、気づいてほしいな。そして、自分の町がどうありたいかという意見を、どんどんどんどん出してもらいたいんですよね。

すぐに答えがでないときは、心に種をまいておけばいいんです

柳

私は職場と自宅が別の地域にあります。5月に結婚をして今の町に引っ越したばかりで、まだご近所との付き合いが深まっていません。お二人の話を聞いて、少しあせってしまう自分がいます。

伊東

柳さんの仕事は、すでにコミュニティの中にあるんじゃないですか。自分にできることから、ちょっとずつ動いていったらいいと思いますよ。

立浪

私が今の活動をしていて気づいたのは、「町の中には、おせっかいをやき合いたい人がたくさんいるんだ」ということです。先日も、面白い薬剤師さんに出会いました。町に開かれた薬局を作りたいとDIYでコミュニティスペースを作って、薬を待っている人と話ができるようにして。そこで写真を撮りためているおじいちゃんの話を聞いて、写真展を開いたんです。そんなふうに、「何が好きなん?」「得意なことは?」みたいな会話の中から見つける小さな関わりの積み重ねって、地域でコミュニティを作っていくベースになる気がします。すごい時間と手間がかかるんですけど。

伊東

お年寄りは「経験」という宝を持っていますからね。聞いてあげてください。今のお話はヒントになります。僕も、すぐにできそうなので、それやってみます。

立浪

ほんとですか、うれしいです!
話は変わるんですが、昨日、『星に語りて』という映画を観て。東日本大震災のときに、障がい者が分断されて避難所に行けずに取り残された話でした。その映画を、電動車いすを利用している方と一緒に観たのですが、観終わったときに「支援される側ではなく、支援する側として自分ができることは何だろう」とおっしゃったんです。私はその思いをどのように受け止めたらいいのか、言葉にできない複雑な気持ちになってしまって。今も引きずっているんですが、このモヤモヤをどう解決したらいいのか…。

伊東

すぐに答えが出ることではないかもしれませんね。今、答えがでないことや解決できないことは、その思いを心の中に留めておいたらいいんです。 自分の心にも、人の心にも小さな種をまいておくというかね。
そのことを忘れずにいたら、どこかで同じ思いを持っている仲間に出会って一緒にすてきな花を咲かせられるかもしれない。 自分があきらめなかったら失敗にはならないから。
若い人たちはパワーがあって、目的に向かってまい進されます。それは素晴らしいことだけれど、頑張りすぎてしんどくなってしまうこともあります。だから、ちょっと余裕があってもいいのかな。それは、このおじさんが経験してきたからわかることかもしれない。

柳

お話を聞きながら、社協での仕事を振り返っていました。長田は高齢者だとか、障がい者だとか、外国の人だとかって垣根がなくて、多様な人と文化が混ざり合っている町です。他の町にはない長田ならではのコミュニティがあると思います。そんな中で育つ子どもたちは、自然にコミュニケーションのあり方を実践で体験している。これってすごい種がまかれているってことですよね。これから25年経って、その子たちが大人になったときには、その種が大きく育っているのかなと思います。

伊東

言われてみればそうかもしれないですね。この町は、高齢化も少子化も進んでいるし、10年後の日本の風景があるんじゃないかと思っています。

それぞれの場所でよい関係を広めていってほしいです

柳

改めて思うんですけど、世の中にはボランティアに熱心でもないし、誰かの生活に寄り添った職業でもないという人のほうが多いと思います。私もその一人で何者でもないけれど、大阪北部地震の後、歩きやすい靴を履くようにしました。いつどんなことに遭遇するかもしれないし、いざというときに行動しやすいからです。
ここ数年でいろいろな自然災害を経験して、日本人の防災への意識が大きく変わってきていることも確かです。一人ひとりのちょっとした意識や行動の変化がいい方向に広がっていったらいいのかなって思います。

伊東

初めから完璧なものができるわけないですからね。絶えず変化していける状態を保ちながら新しい人たちの時代になっていけば、 次の時代もすてきな町になっていくやろうと思います。

来年1月17日に、この商店街に南三陸から商店街の若い人たちが来るので、長田の若者たちとお茶を飲みながら交流する時間を作ろうと企画しています。長田の若者でも震災を知らないですからね。知り合いがいる町はお互いに好きな町になるでしょ。もう彼らにバトンタッチせなあかん。そんなつながりを作っていくのも僕たちの役割かなと考えてます。
うちの店が「縁」をつくる場所になってね。ここで出会った人たちが、それぞれの場所で輪の中心になってよい関係を広めていってもらえたらうれしいな。

立浪

災害に備えた次の一歩でいうと、「誰かを頼ることができる人になりたい」です。私自身もそうなんですが、人に迷惑をかけるとか、誰かを頼ることが苦手な人は多いです。でも、誰かを頼らなけばいけない、助けを求めなければいけない場面はあります。 それがストレスにならないようにしたいです。それは、今日話しをしてきたつながりや心がけを日々積み重ねていくことなのかなって思いました。

伊東

今、地震や台風など大きな災害が多いですよね。被災した直後はまだ「生かされた、頑張ろう」という気力があるんです。 でもね、家や町を建て直すときには、元通りにするんじゃなくて、そこから10年後、20年後のことを考えて行動せんとあかんのです。 命の時間は過ぎていくから高齢者はもっと高齢になります。
例えばね、これは僕の夢やけどね。シェアハウス的なものがあったらどうかなって。そこに保育所を併設したらなお良くて、世代を超えて交流できるでしょ。お金をかけて新しく作っていくんだったら、そんな選択肢があってもいいのかなって思うんですよ。

立浪

それ、めちゃいいですね!
悲しいことは再び起きてほしくないけど、災害に襲われたときには、人と人のつながりがきっと生きていく力になると信じています。非常時には、そんなつながりを中心に、いろんな出会いのようなものが生まれていくのかな。そういう地域づくりをしたいと思います。

伊東

世の中は、みんなが助け合ってできています。こうやって、自分の夢を発信していたら、助けてくれる人はいる。絶対にできます。

撮影場所:神戸市長田区(ふたば学舎)

  • 11 住み続けられるまちづくりを

柳の思ったこと

「全てをなくして、形のない大切なものを見つけることができた」。そう話す伊東さんの目はこれからもきっと忘れられません。

「誰も置き去りにしない」というのは究極に難しいテーマだと感じ、職業も境遇も全然違うお二人とのお話はどんなものになるのか、想像できませんでした。
しかし、「これからどんなふうに人と人、地域がつながっていけばいいだろう」という共通の関心事で前向きに未来の話ができて嬉しかったです。それと同時に、真剣に語り、行動して未来に種をまき続けている伊東さん、立浪さんにはとても励まされました。私も、自分にできることから種をまいていかなければならない、と感じました。

「何か起こってからではなく、常に将来を見据えた住民主導の町づくりをしていかなければならない」という言葉からは、長田での25年間の重みを感じます。一朝一夕に実現できることではないですが、町に関わる一人ひとりの意識が大切です。「一番初めに助けてくれるのは隣近所の人」。長田区での研修で感じた温かさ、人の熱意はとても説得力がありました。そんな社会になるためには、特別な誰かが気づき、行動するだけでなく、一人ひとりの「少しの気づき」の連鎖が大切なんだと思います。 誰もが、ちょっとだけおせっかいやきになれたら。私も、職場がある西宮市や、住んでいる大阪の町で、もう一歩、地域の輪に入っていきたいです。

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